2010.4.11






鎌倉観光協会による、静の舞についての説明解説の後、古式ゆかしくとり行われました。


                             静の舞
                           
源義経は平家征討に活躍し、都での評判が高まるにつれ、兄頼朝公とはいきがいが深刻となっていきました。そしてついに頼朝公より義経追討の命がくだされてしまいます。
文治元年1185年11月、義経は、白拍子(しらびょうし)の静御前らとともに京都から逃れます。
雪の吉野の山中で義経は静と行き別れてしまい、静はそこで捕まり、翌年3月に鎌倉に送られてしまう。 
1186年4月8日、頼朝に強いられて、静は鶴岡八幡宮の若宮の回廊で舞を舞います。その舞が 義経を慕うものであったために、頼朝の逆鱗に触れてしまいますが、妻北条正子のとりなしで、収まったものの、静が義経の子(男児)を出産すると、その子は頼朝の命令で由比ヶ浜に捨てられてしまいます。静は傷心のまま京に上ったのち、行方知らずとなってしまうそうです。
吾妻鏡には文治2年(1186)4月8日鎌倉八幡宮にて静御前は源頼朝・政子の前で舞ったと記されているそうです。


静の舞





準備も整い、いよいよ静の舞いの奉納です