私が戦後まもなく疎開先の福島より戻った(昭和22年8月)横浜石川町附近には、アメリカ軍がやって来ておりました。川向こう(中村川)の長者町一帯は接収され、占領軍のカマボコ兵舎が建ち並び鉄条網でしきられ、私たちとの生活の差をはっきりと感じたものです。美空ひばりの歌が街に流れ、その歌に憧れ励まされ、人々が復興へと必死に生きてきた良き時代でした。これは遠い昔の思い出の一部分です。当時のラジオから流れるNHKラジオ歌謡で覚えたこの歌がなぜかとても印象に残っています。よろしかったら聞いてみてください。

昭和23年頃:米軍施設

昭和24年頃:米軍施設をバックに夏祭り

昭和23年:石川町附近
中村川で子供たちはハゼ釣り
この川の上には現在右の写真のように大黒埠頭へとつづく狩場線が通過しています

昭和24年:野毛山遊園地
まだ動物園もなかった時代の野毛山公園です

昭和25年:間門海岸
バックに今も残る三渓園の岸壁が見えます

当時の横浜は、本牧・三渓園・間門・磯子・屏風ケ浦・杉田へと遠浅の海岸がひろがっていました。それぞれの海岸は潮干狩りや海水浴で賑わいましたが、昭和34年頃からの根岸湾埋め立て工事により、残念ですが現在は市民公園や製油所になっております

昭和34年頃:フェリス女学院前の山手通り

昭和34年頃:山手の丘からのぞむ完成当時のマリンタワー
昭和30年の開港100年記念事業の一つとして建てられたそうです

現在の山手通り:ここだけは昔と変わらぬ静けさを残してくれています   平成15年4月

港の見える丘公園より望む現在の横浜港
                 平成15年4月

現在の中村川 
元町附近  平成15年4月

昭和24年頃:夏祭りには空地に舞台が建ち趣向を凝らした舞踊や演劇を町内が一つになって楽しみました

昭和30年頃:まだ接収されていた頃の港(貯木場方面)の風景だと思われます

昭和37年頃:横浜港
港の接収が解除され又世界の船が訪れるようになりました

昭和39年:山手外人墓地
観光ブームもなくのんびりと静かな山手でした

昭和39年: マリンタワーの近くにあった
アメリカ文化センターです
アメリカの文化を伝える機関として活動してきましたが1967年(昭和42年)に閉館されました。現在その建物の一部が記念として残されています

平成15年: 山手カトリック教会
古い写真はありませんが現在も当時と同じ様に厳かな雰囲気を漂わせております。小学校時代夏休みの宿題といえばガバンをかかえこの教会を写生しに出かけたものです